うさぎの時代庵

時代小説、時代劇の作品感想を書いています。司馬遼太郎、海音寺潮五郎作品が大好き。新選組、幕末物が大好き。

「頼朝の死を廻って その虚実の世界」 永井路子「続悪霊列伝」より

永井路子さんの「続悪霊列伝」の中の一遍。

源頼朝の死は謎が多く、どう死んだかについての確実な記録がないのです。

永井さんによれば頼朝の死の原因を推察できる材料は幾つかあるということで、当時の公家の日記や藤原定家の日記、明月記には「飲水の重病」(糖尿病のこと)で死んだと書かれている。

ところが「吾妻鏡」には相模原の橋供養の帰りに落馬した事が原因で死んだと書かれている。でもこれは後から振り返って書かれた部分で、頼朝の死の当時の記録はないのです。

吾妻鏡」はところどころ抜け落ちていて、頼朝の死の前後の部分が脱落しているのです。

吾妻鏡」は鎌倉幕府の公式見解といえるものなので、それなのに肝心の頼朝の死の部分が抜け落ちているという点が、いろいろな想像を起こさせることになるのです。

もちろん長い年月の間に自然に紛失したとも考えられますが、頼朝好きだった徳川家康が「頼朝の傷になるような記載は構成に伝えない方がよい」ということで隠してしまったという伝説もあるのです。

 

死亡時53歳になっていたとはいえ、戦地経験の豊富な源頼朝が落馬するか!?という疑念から、頼朝の死についてあれこれと想像がめぐらされるわけです。

永井さんが頼朝の死を「悪霊列伝」の中で取り上げたのは、「保暦間記」に相模原の橋供養の帰りに、悪霊にあった頼朝がその後病みつき、間もなく死んだと書かれているからです。悪霊とは源義経安徳天皇であったと。

他にも女通いしていた頼朝に怒って、嫉妬に狂った北条政子が殺してしまったという伝説もあるそうですが、これはいろいろな事情から考えてありえないと永井さんは否定しています。

それから真山青果という劇作家が、女通いをしていた頼朝がその女の恋人に闇討ちされてしまったとした「頼朝の死」という芝居を書いて、これが大当たりしたので、この説が広く世に知られて信じられるようになったそうです。

 

ただ、頼朝の死亡当時、政子も、頼家も、誰もそれを悪霊の仕業だなどと思っていなかったということです。そういう記述は当時の記載には一切ない。

悪霊が登場して頼朝は悪霊に取り殺されたのだとした「保暦間記」は、頼朝死亡時にリアルタイムで書かれたものではなく、誰が書いたのかもはっきりしていないのですが、現生の悪行には必ず報いがあるという考えが貫かれていて、源頼朝は悪行を行ったと認識されていたという点が注目なのです。

平家一族や源氏の兄弟や親族、多くの部下たちを死に追いやった頼朝は悪霊に取り殺されても当然なのだという考えが存在したというわけです。

 

「悪霊列伝」というタイトルとはいえ、永井さんは悪霊の存在は信じていませんから、悪霊を生み出した側の精神状態こそ注目だと書いていて、鎌倉時代源頼朝は悪霊に祟られて死んでもそうだろうなと思わせる存在だったというわけです。

悪霊を信じない永井さんの立場からいえば、頼朝が相模原の橋供養に行った時期が旧暦12月というとても寒い時期だったということに注目しています。旧暦12月は今の1月~2月で、一年の中で一番寒い時期で、寒風にさらされた頼朝が高血圧などの急性疾患で落馬し、その後亡くなったと考える方が科学的であると永井さんは書いています。

これも推測の域を出ないので、結局のところ、源頼朝の死因についてははっきりしないままです。本当に落馬が原因なのですようか?それとも糖尿病?あるいは複合要因?

本当のところはどうなのでしょうね。

 

永井さんの「悪霊列伝」「続悪霊列伝」は悪霊になったその人本人よりも、悪霊に仕立て上げた人々の側にこそ「悪霊になってもらう」理由があったとしていて、とても面白い作品になっています。

 

「執念の系譜」永井路子 講談社文庫

鎌倉政権の重鎮、三浦一族の密かな政争を、三浦義村、光村親子の二代に渡って描いた中編小説。鎌倉幕府初期の政争を、三浦一族の側から描いたという意味でとても面白いです。「鎌倉殿の13人」の三浦義村の暗躍、葛藤、権謀術数をこの作品で堪能できます。

 

クライマックスは源実朝の暗殺です。殺したのは公暁源頼家の息子ですが、公暁を駆り立てた人物は、公暁の乳母父であった三浦一族。しかし、三浦一族は、実朝暗殺事件で誅せられていません。すんでのところで三浦義村公暁を捨て、北条一族に味方し、家を存続させました。

三浦義村の息子、三浦光村は公暁に味方しようとしたのに父に止められ・・・。

その時から、光村の屈折した思いは最後まで続いていきます。

三浦義村は、北条義時と手を組んで鎌倉幕府を盛り上げながらも、常に北条義時を倒し、北条一族を追いやり三浦一族が鎌倉幕府の中心、執権の地位に就くことを狙っていた・・・。その執念が三浦一族を動かしていたのです。

北条義時が死んだ時、三浦義村は兵をあげ、北条一族を倒し、自分が実権を握ろうと一世一代の勝負出ます。

 

しかし・・・ここに北条政子三浦義村に会いに来て・・・

この一件は、北条義時の愛妾の伊賀の局の一族、伊賀の乱として処理され、三浦義村は伊賀一族を成敗する側になったのです。

政子と義村の間に何が話し合われたか・・・。

 

その後、三浦義村に北条一族を倒すチャンスは二度とめぐってこず、腑抜けのようになってしまいました。

北条義時三浦義村は、互いに刀を背中に隠しながら密かな権力闘争を続け、しかし、鎌倉幕府を強化するという一点では協力し、互いに尊敬しながらも命の奪い合いをしていた・・・。

鎌倉幕府初期の本当の主役は源氏ではなく、北条義時三浦義村であったと思うわけです。

 

三浦義村の思いを継いだのは、次男坊の光村で、彼の打倒北条一族の執念は最後までずっと続きます。北条一族と三浦一族との暗闘は、代を変えて続いていくのです。

そして三浦の反乱、宝治の乱で、三浦一族は遂に北条一族に滅ぼされてしまいますが、北条一族と一戦を交わしたという意味で、光村は自分の死にざまに満足していたのでした。ものすごい闘いと死にざまを後世に残して。三浦一族は皆戦死か自害。ここで三浦一族は滅びる・・・この小説は終わると思ったら。

ここで終わらないのが、この作品の面白いところです。

三浦光村の甥にあたる佐原一族が生きていて。その後三浦の名を継ぎました。そして新田義貞が北条高塒を責めた時に三浦一族は新田側に味方して、ついに、北条一族を滅ぼしたのでした。その時の三浦は三浦時継が率いていました。

北条一族をついに倒したぞ!で終わるかと思ったら。

またまた、ここで終わらないのですよねえ・・

三浦時継は、北条氏の残党の反撃、中先代の乱に味方してしまうのです。これに敗れて足利尊氏に誅されてしまいます。

でも三浦時継の息子、三浦高継は父を裏切って足利側に味方をして、生き残ります。

そして戦国時代に入り、三浦一族は北条早雲(北条一族とは関係ない)と闘うことになり、油壷にこもり籠城して闘い、一族皆が果てることになりました。

鎌倉の北条一族ではないが北条の名をかたった北条早雲によって、三浦一族は遂に滅びてしまったのです。なんともはや・・・。

三浦一族の執念はまだ三浦半島に燃え残り、くすぶっているような気がします。

三浦一族の物語は、まさに執念の物語。

読み応えのある作品でした。

 

 

 

柳広司「ダブル・ジョーカー」角川書店

ジョーカー・ゲーム」の続編。

ジョーカー・ゲーム」は第二次世界大戦直前、日本が中国との戦争を始めた頃の出来事を描いたスパイ小説。日本陸軍の異端的機関、D機関。いわゆるスパイ養成学校。このD機関のスパイたちの暗躍を描いた作品でした。D機関を率いるスパイの天才のような人が結城中佐で、この人のキャラが強烈でしたねえ。冷血、冷徹であることを求められるスパイ達。金も名誉も愛も縁がない。そういうスパイとしての生き方に、情熱を燃やすのはなぜか?スリル?プライド?使命感?しかたなく?そういうスパイの本質に迫るという楽しみも、このジョーカー・シリーズにはありますね。

 

「ダブル・ジョーカー」も前作と同様、とても面白かったです。私は登場キャラの中では結城中佐が一番好きです。今回、結城中佐の登場シーンが前作に比べ少なかった事がちょっと残念。ただ「柩」の中で、結城中佐が左腕を失った経緯が描かれています。

 

これを読むと、結城中佐がなぜそこまでスパイ活動にいれこんでいたのか、左腕を失っても冷静に行動するような胆力はいったいどこから来ているのか、そもそも彼はなぜ日本陸軍の欠点や限界を知っていながら陸軍にいつづけ、陸軍に裏切られながらも、なおスパイ活動を続けるのか、根本的な疑問がどんどん浮かんできます。

結城中佐が設立したスパイ組織D機関のメンバーたちは、自分たちのありあまる頭のよさを燃焼しつくす、ほかの誰にもなしえないことをなしてやる、というハイプライドと一生をかけるに値するスリルと自己陶酔のために、スパイを続けているとなっていますが。結城中佐自身はどうなのでしょう??「柩」の中で登場した過去の彼はもう既にスパイなので、その前はどうなのでしょうか?

 

太平洋戦争開戦前の、重々しい黒雲が世界を覆っている状況で、結城中佐は何を目指してスパイ活動をしているのでしょう?普通に考えれば、日本が戦争に勝つため、日本の国益を守るため、ということなのでしょうが。一応結城さん、日本陸軍に属しているのだから。それとも逆に戦争を回避するためだったのでしょうか。しかし、そんな単純な動機でもなさそうな。第一、日本陸軍に対してずいぶん冷めた目で見ているようだし。謎が謎を呼ぶ結城中佐です。

 

最後の「ブラックバード」で、とうとう日本の真珠湾攻撃が起こります。これで太平洋戦争が始まってしまうので、もし結城中佐の目的が戦争回避だとしたら、それは果たせなかったわけです。もし戦争勝利だったとしたら、それは無理だと、結城中佐の頭であればわかっていたはずです。それともスパイ活動そのものに生きがいを見出していたのでしょうか。

シリーズ三冊目の「パラダイス・ロスト」で、もしかして結城中佐の正体ってこのヒト!?っていう、結城さんの過去をわかるかも??という短編が入っていますが。でも、やっぱり、結城さんは謎に包まれたままです。

 

前作も思ったけれど、ジョーカー・シリーズは他に類をみないスパイ小説だと思います。他のスパイ小説は対立国家間の話で、母国のためにとか平和のためにとか、戦争勝利のためにとかテロを防ぐためにとか、主人公の目的がはっきりしています。結城中佐はどうもその目的意識が読者側によくわからない。本人が語るシーンってほとんどないし。とってもミステリアス。そこが結城中佐の魅力ですね。

 

それからこのジョーカー・シリーズの人気は、表紙イラストを描いている森美夏さんのおかげもけっこうあると思います。引き込まれる軍服姿の男・・・。いやあ、表紙って大切ですねえ。

 

「私学校蜂起 小説・西南戦争」尾崎士郎 河出文庫

「人生劇場」で有名な尾崎士郎が、西南戦争をテーマに「私学校蜂起」「可愛嶽突破」「桐野利秋」「波荒らし玄洋社」の4編を書いたもの。それぞれが、西南戦争の様相を丁寧に臨場感を持って描き出しています。それぞれの現場、というか現地の様子が丁寧に描かれていて、その場の情景が目に浮かんでくるよう。ここらへんは、さすが、尾崎さん、うまいなあって思いました。

 

桐野利秋びいきの私としては、「桐野利秋」だけで一編あるのが嬉しい。桐野利秋の生き様、死に様を描いた短編で、桐野利秋について書かれた小説としては、私は尾崎さんのこの短編が一番好きです。尾崎さんは愛知県出身で、鹿児島とはゆかりのない作家ですが、薩摩隼人の魂みたいなものを活写してくれています。

 

西南戦争を引き起こして無謀な闘いを続け西郷隆盛を誤ったのは、桐野利秋であるという意見を持つ人は多いのですが、そんな粗暴な男が憎まれもせず、今での鹿児島で愛されているのはなぜか。尾崎さんは、

「日常の生活態度が、何となく桁外れで、ユーモラスなことが庶民的な人気をよび起こしているが故でもあろうか。まったく桐野は底の抜けたような明るい性格の持ち主であった」

とその理由を書いています。

 

桐野さんが幕末は中村半次郎という有名な人斬りで、新選組に恐れられたとか、高杉晋作が好きだったとか、サーベルがピカピカ銀作りだったとか、西南戦争で鹿児島へ敗走している時でも進軍ラッパが好きでラッパを吹いていたとか、数々の桐野さんらしいエピソードが出てきます。

 

この短編の最後は、尾崎さんが鹿児島にある薩摩軍の墓がある浄光寺を訪ねるシーンです。桐野さんの墓だけが白く光る墓石になっているのを見て、なぜかと尾崎さんは案内の郷党の老人に尋ねます。その老人は答えました。

「そりゃ、桐野どんな、派手な人でごわしたからのう」

「私はこの言葉だけで満足する」と尾崎さんは書いています。

 

まったく、ハデな豪傑だった。特に、その最期にいたっては彼が心ひそかに期待していたのと寸分も狂いのない、ハデな豪傑の死に方だった。

 

私も鹿児島の浄光寺を訪ねて、桐野さんの墓だけが白く光る石で作られているのを見たのですが、西郷隆盛の墓の隣に作られたその白い墓が、墓ですけれど、西郷さんに死後も寄り添っている感じで、とても印象に残っています。

 

それから、この本は本文だけでなく、「あとがき」も一読の価値があります。西南戦争とは、西郷隆盛とは、何だったのか?という議論を、尾崎さんがあとがきで展開していて、他の方々の意見も紹介されています。

尾崎さんは、西郷さんには戦意はなかったという説をとっていて、西南戦争の悲劇は、むしろ当時の政府、特に私情にこだわった大久保利通側に責任がある、としています。どうでしょうかね。とにかく、西南戦争西郷隆盛という人が何を考えて、目指してしたのか、ということは日本近代史の最大の謎ではないでしょうか。

 

 

「紅の肖像 土方歳三」 遊馬佑 文芸社

戦って戦って戦いぬく男、土方歳三。鬼のように書かれることが多い歳三様ですが、実際にはいろいろ悩んだり、揺らいだり、落ち込んだり、弱気になったり、泣きたくなったりしたでしょう。そういう人間らしい悩みの部分までも書いた歳三様のお話です。

 

弱さをみせた歳三様の姿に賛否両論あるでしょうが、私は好きです。悩んで、落ち込んで、でも、最後にはぎゅっと歯をくいしばって、戦いぬくわけですから。

けっこう現実の歳三様も、決断するまでは、この本の中のように、悩んだのではないでしょうか。あれだけ時勢が大きく変わっていくなかで、まったく揺るがない、まったく落ち込まないって人がいるはずないでしょうし。ましてや、新選組は、大荒れする時代の波の中で葉っぱのように翻弄され、大切な仲間を次々失っていったわけですから。

 

激動の時代の中でも、多摩日野時代を共に過ごした、近藤勇土方歳三沖田総司の絆はとても強く、しっかりと結びついていました。それを象徴する歳三様のセリフがこれ。

しかし・・・。歳三様が、京都で増長して女遊びに精を出す近藤さんをみてあきれちゃうところは、けっこううなずいてしまいました。なんか、京都時代の近藤さんはあまり好きになれないなあ、私は。

歳三様の女関係も出てきます。お琴さんとか君菊さんとか。でも、女性は、歳三様の拠り所にはならないのです。

歳三様にとって揺るがないもの、たった一つだけ拠り所にしているもの、永遠に守り通したいもの、それは沖田総司なのです。

この本は確かに歳三様の生涯を描いた本ですが、歳三様と沖田総司の絆を読む話でもあるのです。歳三様&沖田総司のコンビの活躍、青春、奮闘、やさしさ、切なさを読む話としては、最高です、この本。名シーン、名セリフがたくさん出てきます。

 

この二人の江戸時代に築かれた絆は、何物にもかえがたい、誰にも入り込めない、珠玉のものなのです。

 

血を吐いて気を失った総司くんの背をさすりながら、歳三様がつぶやくのです。

歳三様の本音が出ているようで、いいセリフです。

 

それから、鳥羽伏見での敗戦の後、大阪城で寝ている総司くんを見舞って歳三様が語ります。

 

「俺はもう、無理やり隊士を引き留めねえ。来たい者だけ、やる気のある奴だけ俺について来ればいいんだ。そんな奴が一人もいなかったとしても、構わねえ。俺は俺一人になっても戦うんだからな。俺だけは最後まで戦い通してやる」

「土方さん、一人じゃありませんよ。最後までついていくって言ったでしょう」

土方は沖田の顔をじっと見た。沖田は真剣な眼差しを返した。

「そうだったな。おまえがいたな。おまえは子供の頃から俺の所へ真っすぐに駆けてきたっけ・・・」

 

うーん、泣ける。

 

歳三様と総司くんが時々ぶつかって、喧嘩するシーンもあって、読み応えありました。

歳三様と総司くんのコンビのファンの方にはぜひ読んでいただきたい本です。

 

「新選組の舞台裏」菊池明

新選組の舞台裏」はノンフィクション(98%は)。いろいろな物証をもとに、新選組の意外と知られていない事実を語る短編集です。新選組ファン、特に土方歳三ファンにはたまらない一冊になっています。

 

例をあげれば・・・

土方歳三が暮らした家

土方歳三は強かったのか

土方歳三の写真

・五月十一日 土方歳三が駆けた道

土方歳三 一本木関門離脱の謎

土方歳三の辞世

など。どうです?歳三様ファンならばぜひ読んでみたい内容でしょう?

ドラマや小説の中の歳三様ではなく、実際に生きていたリアルな歳三様の姿を垣間見ることができるのです(リアルでも歳三様はやっぱりかっこいいのです)。

 

歳三様の最期の地、北海道函館の一本木関門跡まで訪ねていった私としては、特に「土方歳三が駆けた道」「一本木関門離脱の謎」がとても興味深い内容でした。これから、歳三様最期の地を訪ねようと思っている人は、この本を読んでから行かれることをお勧めします。

 

しかし。私がこの本で一番感動し、読み返すたびに涙してしまうのは歳三様ネタではなくて、「沖田総司の最後の手紙」です。

現存する沖田総司が書いたことが確認される最後の手紙は、慶応三年に近藤勇のお兄さん宮川音五郎にあてたものですが、その手紙からいろいろなことがわかり、考察されています。

 

沖田総司池田屋の戦いのときに血を吐いて倒れたという定説があって、小説やドラマでもそのシーンが必ずありますが。実は沖田総司結核を発病したのはもっと後、慶応3年頃というのが本当のところらしいのです。慶応3年の12月ごろにはもう大分具合は悪かったらしいです。

沖田総司の最後の手紙は、慶応3年11月に書かれているのですが、具合が少し悪かったけどもうよくなったから心配しないでください、大丈夫です、というようなことが書かれています。本当はもうこの頃は総司くんは自分の病が結核であり、死が近づいていることをわかっていたのです。それなのに、日野の故郷の人達には「大丈夫だから」と書いて送っている。泣。

 

慶応3年の10月には歳三様が江戸へ行って日野の義兄佐藤彦五郎さんを訪ねているので、そのとき歳三様は総司くんの具合が悪い事を語ったのではないでしょうか。

 

↓ここからは、私の妄想。

 

彦「総司は元気か?」

歳「あ?あ、ああ・・・なあ、義兄さん・・・」

彦「なんだよ?」

歳「あいつ、血を吐いたんだ・・・あれは、やっぱり、労咳か・・・な・・・」

彦「なに?あいつって総司がか!?」

歳「ああ・・・義兄さん、違うよな?総司が労咳なわけないよな?あんな、いつも笑ってばかりいる奴が労咳なんて、ありえねえよな?」

彦「・・・・歳、医者には見せたのか?」

歳「ああ、腕がいいって評判の医者のところに行かせたんだが、何でもなかった、ちょっと疲れているだけだっていうんだよ、あいつ・・・」

彦「血を吐いたのは一回だけか?」

歳「俺が見たのは一回だ。だが、見てないところでもっと吐いているかもしれん・・・最近あいつの顔妙に青白くて・・・」

彦「かもとかなんとか言っている場合じゃねえだろ!お前がひっついていって医者に診てもらえ!」

歳「あ、ああ。そうだよな・・・」

彦「しゃんとしねえか、歳!総司の病が重くなってからじゃ遅いだろう!」

歳「義兄さん・・・総司、労咳なんかじゃねえよね?あいつ、大丈夫だよな?」

彦「歳・・・」

歳「あいつが労咳なんかで倒れちまったら、俺・・・俺、あいつがいねえと・・・」

そう言って俯く歳三の頭を、彦五郎はやさしくぽんぽんと叩いた。

 

な~んて光景があったのではないかと。妄想しています(笑)。

 

沖田総司の手紙の筆跡はとてもすがすがしく、やさしいのです。それだけに、この最後の手紙は切ないのです。

 

 

「夏草の賦」司馬遼太郎 文春文庫

「戦雲の夢」で長宗我部盛親を紹介しましたので、お祖父さんに当たる長宗我部元親のお話も紹介したいと思います。「戦雲の夢」に続き、この「夏草の賦」も私の中では司馬遼太郎作品ベスト5に入っています。

 

土佐の長曾我部元親の一生を描いた作品です。土佐の傍らから芽吹いた野望の男、元親が、四国を支配するまでの策謀と闘いの前半生。そしてその後、織田信長豊臣秀吉という天下人にとって、半生の業績を無にされ、すべてを空しくした後半生。前半と後半でこれだけ落差がある戦国大名も珍しいと思います。

 

おそらく、豊臣秀吉が天下をとった時点が頂点で、そこからは降下するばかりだった元親の人生だったと思います。最後に、元親は妻を失い、長男を失い、もうどうにでもなれ、という気持ちになり、世を終えます。男の人生とは何なのか、男の情熱とは?という、問いに対する一つの答えのような小説です。

 

でも、暗いばかりではありません。何といっても、この本の中では、元親の妻、菜々の活躍が楽しいです。フツーの戦国武将の妻ではないのだなあ、彼女。前半は、元親ではなく、この菜々ちゃんが主役のような気がします。だから、女性が読んでもとっても楽しいお話なのです。

お転婆で好奇心旺盛な娘、菜々ちゃんが近畿から四国という、当時は鬼が住むといわれたお国に嫁してきて、大騒ぎ。司馬さんの筆が生き生きとしています。ちなみに、この菜々ちゃん、明智光秀の右腕の部下、斉藤内蔵助の妹です。

 

しかし、後半、天下取りから脱落した、というか、天下まで目も頭も回らなかった元親は、天下人となった織田信長、特に豊臣秀吉によって人生を狂わされ、自分の力だけではどうにもならない時代の波にのまれていきます。だから、タイトルが「夏草の賦」。うまいタイトルを司馬さんつけたものです。

 

でも、司馬さんは、最後まで、愛情深いタッチで、元親を見守り描いていくので、読み終えた後、空しさと同時に、1人の男の生き様に感動します。

 

お祖父さんと孫の二人それぞれについて長編小説を書くとは、司馬さんは、この長曾我部一族が結構好きだったのではないだろうか。

 

「戦雲の夢」司馬遼太郎 講談社文庫

長曾我部元親の孫、長曾我部盛親の一生を描いたお話。

私としてはこの作品、司馬遼太郎作品のベスト5に入る傑作だと思います。司馬作品のエンディングは、「そしてすべて消え終わった」という、時代の空しさを感じさせるものが多いけれど、この作品は違います。盛親がどのような最期を迎えたのか、読者にその結論をゆだねる、司馬さんにしてはめずらしく余韻のある終わり方です。司馬さんの長曾我部盛親への愛情が感じられます。

 

戦国の謀略者、元親を祖父に持つ盛親ですが、関が原の戦いの後、京都に軟禁され、男として空しく朽ちていくしかない人生を送っていました。女遊びに明け暮れ、自暴自棄な日々。昔からの長曾我部の臣下たちはそんな盛親を心配します。しかし彼らも長曾我部が滅ぼされた後は、他の大名の家臣になったりして録を稼がないとならない。でも、盛親のことが忘れられず。

そんな時、天下に風雲が起こります。大阪冬の陣が勃発するのです。盛親は今こそ、自分の運命をかける時と大阪城に入るのです。この、大阪城への入り方が、もう、感動。涙、涙。司馬さんはこの場面を切り取った短編を別に書いているくらいです。

大阪城へ入るために五条を歩いていく盛親の背後には、1人、また1人と、長曾我部の旧家臣たちが、戦闘準備をして加わっていくのです。盛親が立つと聞いた家臣たちは、戦雲の夢に、長曾我部の夢に、自分たちの命を燃焼しつくす決意とともに、盛親に従い、大阪城へ入城していったのです。大阪城へ入る頃には、長曾我部の家臣たちは100人以上に膨れ上がっていたのでした。

 

しかし、盛親と家臣たちのその後には、冬の陣、夏の陣の敗戦が待っています。この大阪城での戦いには、様々な有名人(後藤又兵衛とか真田幸村とか)も登場してきます。ここら辺も涙もの。もう、勝利はないとわかっているのです。でも、彼らにとっては男としての最後の花を飾る、武将として立派に戦う、これこそ人生の目標と定めていて、もはや、勝敗を問わないと悟っているのです。もう、この後半は、盛親というよりも、戦国武将たちの最後の仇花が咲いた、その様子に、泣きっぱなしです。

彼らの思いを見事に表した盛親のセリフがこれ。

盛親を取り巻く人物達も魅力的です。お里という、盛親を立ち直らせた最後の女(フィクションです)。それに雲兵衛という元忍者(盛親にほれ込み、友垣だと思っている)、盛親のめのと子、弥次兵衛。みんな魅力的で生き生きと描かれています。

 

大阪城が落ちた後、盛親はどうなったのか。史実を信じるのか、伝説を信じるのか。この本を読み終わった読者の答えは、どちらを信じるでしょうか。

余韻の深い、絶対お勧めの司馬遼太郎作品です。