うさぎの時代庵

時代小説、時代劇の作品感想を書いています。司馬遼太郎、海音寺潮五郎作品が大好き。新選組、幕末物が大好き。

「神剣 人斬り彦斎」葉室麟 角川春樹事務所

幕末京都で人斬りと恐れられた中村半次郎田中新兵衛、そして河上彦斎(げんさい)。

彦斎の幕末から維新、西南戦争の直前までの人生を描いた力作です。

 

彦斎が、中村半次郎田中新兵衛と違ったのは、彼が林桜園という日本神道の大家の弟子であり、かなりの論客であったこと、あくまでも「神意」によってその人を斬るか斬らないかを決断したこと。

 

彦斎といえば佐久間象山を斬ったことで知られていますが、象山を斬るにも彼なりの論理(佐久間象山が日本を西欧化しようとしているのは攘夷に反し、神の意に反する)に基づいて斬ったということなのです。それが正当化されるとは思いませんが、彼は誰か上役に言われて人を斬ったのではなく、あくまでも自分の意志に基づくものでした。

 

幕末は「尊王攘夷」のエネルギーで回天したようなものですが、維新が成ってみれば「尊王」は成ったけれども、「攘夷」はどこかへ捨てられてしまったと、彦斎は思ったのでした。だから、維新後も明治政府への反対勢力として「人斬り」のネームブランドを持って怒りのエネルギーを発散し続け、結局、最期は明治政府に刑死させられることになります。

 

人を斬ることを「神意」に占って行う行為は、私の理解を越えたものですが、彼と同様の行動を起こしたのが太田黒伴男。熊本・神風連の乱を起こした人です。この人も、林桜園の弟子で、神意によって反乱を起こすことを決めた人です。熊本(当時の肥後)は日本神道を信仰する地合いがあったのでしょうか。

 

神風連の乱から各地の士族達の反乱が連続していき、導火線の最後の爆発が、西郷隆盛が起こした、というか巻き込まれたという言い方の方が正しいと思うけれど、西南戦争になります。

 

彦斎は、神意に基づいて己の成すことを決定するということで、かなりストイックに生きるのですが、ロマンスもあります。由衣という尊攘攘夷を心棒する林桜園のゆかりの女性。彦斎は妻も子供もいるのですが、由衣との関係はストイックでなかったようです~。ただ由衣との恋が、この殺伐とした人斬り彦斎の物語に少し色味を加えています。(でも、妻の方はほとんど無視されているので、ちょっと気の毒です・・・)

 

私がこの作品の中で一番好きなシーンは、新選組沖田総司との闘いのシーン。沖田総司と彦斎が剣を交わすシーンは読みごたえあります!飄々とした沖田総司がいい!無拍子から三段突きを繰り出す総司くんがかっこいいこと!新選組の他のメンバーも登場しますが、沖田総司のクールでニヒルな様子が素敵です。

土方歳三さまが登場しますが、あまり出番はないですね。近藤局長はかなり出張っていますが・・・正直嫌な男として描かれています。

 

彦斎の生涯をここまで丹念に長く描いた作品はあまり多くないので、彦斎を描いた時代小説として代表的な作品といえるのではないでしょうか。

 

葉室麟さんは2017年に66歳の若さで急逝しています。残念なことです。

 

「姫の戦国」上・下 永井路子 文春文庫

今川義元のお母さん、悠姫、後の寿桂尼が主人公。京都の中御門家という公家のお姫様が、駿河の大名、今川氏親に嫁いでからの波乱万丈の人生を描いています。

 

今川義元といえば、織田信長桶狭間の戦でけちょんけちょんにやられて、敗死した間抜けな大名・・・というイメージを持っていた私ですが。事実はそうではなく、今川義元も立派で剛毅な大名だったけれども、今川家にとっての不運(当日豪雨が降ったとか)、織田家にとっての幸運が重なって、今川義元は打ち取られてしまったのだなあとわかりました。

 

この小説の主人公はあくまでも義元のお母さん、悠姫なので、桶狭間の戦いは小説の最後の方に出てくるのですが。

 

この小説は女性でないと書けないなあと思いました。永井路子さんは食事や衣装、季節の行事、女ごころなどをまことに細かく描写していて、女性ならではの視点だと思います。また、当時の生活習慣や暮らしぶりを史料に基づき、丁寧に描き出しています。

 

織田信長がまだ中央に出る前の時代だから、戦国時代とはいってもその幕開けの頃ですが、戦が中心の話ではありません。悠姫が駿河でどう生きていったかという女一代記になっています。

京都の公家のお姫様が、駿河の大名の家に嫁ぎ、勝手が違う武家の中で、お姑さん問題、夫の愛人問題とその子供問題(当時は大名に正室以外の愛人がいて、その子供がいることも普通のことでしたが)、夫の部下の武将達とのやりとりなど、現代でもよくありそうな問題に遭遇しながら、あれこれ迷いながらも暗くならずに「まあ、どうにかなるわ。運命は巡っていくものだわ」と思い切って、生き抜いていきます。

現在の私達と違うのは、夫に先立たれ、長男、次男に先立たれ、末っ子(これが今川義元)を支えて、駿河の国を切り盛りしていく羽目になったということ。公家のお姫様にいつのまにそんな政治力がついたのか!?と思うほど、悠姫(その頃は寿桂尼と呼ばれていますが)は頑張ります。

 

この時、悠姫には強力な味方がいました。雪斎さん。今川義元の右腕となった軍師です。(小説では雪斎さんと義元さんはラブな間柄だったということになっています)この雪斎さんがいいですねえ。雪斎さんは軍事でも政治でも文化でも外交でも優れた能力を発揮したスーパーキャリア。雪斎さんを主人公にして一冊の本が書けると思います。NHK大河「風林火山」「麒麟がくる」にも雪斎さんはちらっと登場しますが、もっと主役級で描ける人物だと思いますねえ。この雪斎さんがいたからこそ、今川家は東海一の弓取りと言われる全盛期を迎えたわけです。

雪斎さんと悠姫の微妙~な関係も、なかなか面白いです。

 

永井路子さんという女性作家ならではだなあと思ったことは、悠姫の夫、今川氏親への気持ち。愛とはちょっと違う、少し冷めた気持ち。共寝をしても、それで夫がすべてとはならない。心を許したとは限らない。こういうクールな女の本音は女性ならでは描写だと思います。そう、女は意外と愛に埋もれないのですよ(笑)。

 

戦国の始まりの時代を、今川家の視点から、それも、単に織田信長に無様に殺された今川義元というポジションからではなく描いている点が新鮮です。そしてそれが悠姫という女性の目を通して描かれている点もユニークです。

 

ただ、私は悠姫が幾度も「私は公家の娘。感情を露わにすることはできない」とつぶやいて困難を乗り越えていくところが、ちょっと疑問でした。公家の娘だというだけで、そんな風に割り切れるものだろうか??まあ、私は公家とは縁もゆかりもない庶民の生まれですから、公家のお姫様の気持ちがわかるわけではないのですが。人間として「公家の娘」としてのプライドだけで、夫の愛人問題、三人の子供を失ってしまったこと、雪斎の死亡、側近の死亡など、悲しい出来事を乗り越えられるものだろうか・・・。

 

この小説、大河ドラマの原作にぴったりだと思いますが、NHKさん、いかがでしょうか。

 

「天地明察」 沖方丁 角川書店

囲碁がテーマ?

いや、和算がテーマ?

いや、天文(星)がテーマ?

いや、暦がテーマ?

いや、やっぱり、恋愛がテーマ?

 

この本の半分くらいまでは、いったいこの本のメインテーマは何なのか、よくわからず、話も数学中心で漢字が多く(笑)、読み進むのにけっこう苦労しました。半分くらいを過ぎると、この本の面白さがわかってきて、3分の2ほどを過ぎると、恋愛も前面に出てきて、一挙に読み進みました。結局、いろいろなテーマがごっちゃになって、天の理を明察するという一つのテーマに集約されていきます。

 

渋川春海という大和暦を作った人が主人公。どうやら実在の人物のようですね。この春海さん、碁をもって徳川家に仕える家に生まれ、でも算学が好きで、そして天文学に導かれ、正しい暦を作ることを一生の使命としていきます。この春海さんのキャラがいいですね。おおらかで、ふわっとしていて。弱虫で泣き虫で。

 

それから、影の主人公が、えん。春海さんが恋する相手。いつも春海さんをしかってばかりいる武家の女性。この、えんさんが、すごく生き生きしていて、この小説の縦軸を担っています。春海さんをどんどん導いていくというか。でも、春海さんとえんさんはすぐに結ばれるわけではないのです。

いろいろ周り道をして、そして、定めに導かれるように春海さんとえんさんは結ばれることになるのですが、春海さんがえんさんに結婚を申し込むシーンが好きですねえ。天地明察とは、実はこの二人の組み合わせのことではないかと思ってしまう。人の縁というのは、いつもまっすぐストレートとは限らず、時に巡り巡って結局そうあるべき所におさまる・・・というものではないかと思います。

 

主人公、渋川春海

 

「星はときに人を惑わせるものとされますが、それは、人が天の定石を誤って受け取るからです。正しく天の定石をつかめば、天理暦法いずれも誤謬なく人の手の内となり、ひいては、天地明察となりましょう。」

 

と述べています。

 

一方、新しい暦を定めるということは、前の暦を廃するということで、そこには政治的戦いもからんできます。後半は江戸城を巻き込んだかなり大掛かりな政治的展開もみせます。

時代小説なのですが、科学的でもあり、政治的でもあり、算数小説でもあり、恋愛小説でもあり、不思議な魅力を持つ作品でした。

 

「新選組剣客伝」山村竜也 PHP研究所

山村さんは学生時代から新選組研究会を作られた方ですから、新選組大好き作家さん。そんな山村さんが新選組のスター剣士たちの生涯を解説してまとめた短編集。

これも史実だったかなあ?と、ちょっとクエスチョンマークが付くところもあるにはあるのですが、山村さんのそれぞれの人物への思い入れの激しさにより、断定的な表現が多くなっていると思いましょう。この方、本当に新選組が好きなのですよねえ・・・。

 

紹介されている人物は、近藤勇土方歳三さま、沖田総司山南敬助原田左之助永倉新八藤堂平助斉藤一、です。それぞれの最期まで書かれていますので、小説などで途中までしか書かれない事が多い人物たち(斉藤さんとか、原田さんとか、永倉さんとか)の最期がどうなったのかがよくわかります。また、それぞれのお墓がどこかも書かれてありますので、お墓参りしたい人にも役立ちますね。

 

この本の中で心に一番残るのは斉藤一さんの一生です。「斉藤は局中一、二の剣客にて、そのうえ殺伐の癖のある者なれば・・・」(文中で引用されている西村兼文著『壬生浪士始末記』より)と書かれている斉藤さんですが。新選組の主要メンバーの中でも長生きして天寿を全うした人です。

 

会津戦争のときに、斉藤さんは土方さんと袂を分かちました。司馬さんの「燃えよ剣」などでは斉藤さんは土方さんとどこまでも一緒に行き、函館まで一緒に戦っていたけれど、土方さんに説得され函館から脱出した、という風に書かれていますね。個人的にはそういうストーリーになってほしいのだけど、斉藤さんは最後まで新選組副長土方歳三についていったと思いたいのだけど、それは史実ではないようです・・・。

なぜ、二人は別れたのか?という理由についても山村さんの考察が述べられています。

 

この斉藤さんは大正4年、72歳まで生きました。江戸、明治維新、その後日清・日露戦争を経て、大正デモクラシーへ。斉藤さんは激しい変遷の世をどう思って生きていったのでしょうか。同じく生き残った永倉さんはいろいろ書き物や発言を残したり、近藤さんのお墓を板橋に建てたり、いろいろ活動(?)しているので、その後の人生や彼が考えていたことをたどりやすいけれど、斉藤さんは沈黙を守って、永倉さんとの交流もなくて、彼の維新後の思いについてはよくわかっていません。

会津戦争の敗戦後、斗南へ移り、会津の娘さんと結婚して、3人の息子をもうけたので、その子孫の方がいるとわかっていますが。彼の新選組や土方さんや仲間への思いはどのようなものだったのでしょうか。彼はその後西南戦争に警察官として参加し、かって薩摩といった鹿児島の西郷軍と戦っていますが、その時の彼の心の中にはどのような気持ちが渦巻いていたのでしょうか。ここらへんは、想像をめぐらすしかないので、小説の格好のネタになりそうです。(漫画「るろうに剣心」では新選組の哲学を貫く警察官として登場してますが(笑))

 

斉藤さんの最期というのが、自宅の床の間の上に正座して亡くなっていたということで、斉藤さんのこの死に方に、いろいろな想いがこめられているような気がします。

 

斉藤さんのお墓は会津にあるのですが、彼が亡くなったのは東京の本郷の真砂町でありました。実は私が今住んでいるところの近く。今の真砂町は後楽園ドームへ続く大通りが縦に走り、昔の面影はないけれど、ちょっと裏通りに入ると、まだ少し下町の雰囲気が残っています。

 

「頼朝の死を廻って その虚実の世界」 永井路子「続悪霊列伝」より

永井路子さんの「続悪霊列伝」の中の一遍。

源頼朝の死は謎が多く、どう死んだかについての確実な記録がないのです。

永井さんによれば頼朝の死の原因を推察できる材料は幾つかあるということで、当時の公家の日記や藤原定家の日記、明月記には「飲水の重病」(糖尿病のこと)で死んだと書かれている。

ところが「吾妻鏡」には相模原の橋供養の帰りに落馬した事が原因で死んだと書かれている。でもこれは後から振り返って書かれた部分で、頼朝の死の当時の記録はないのです。

吾妻鏡」はところどころ抜け落ちていて、頼朝の死の前後の部分が脱落しているのです。

吾妻鏡」は鎌倉幕府の公式見解といえるものなので、それなのに肝心の頼朝の死の部分が抜け落ちているという点が、いろいろな想像を起こさせることになるのです。

もちろん長い年月の間に自然に紛失したとも考えられますが、頼朝好きだった徳川家康が「頼朝の傷になるような記載は構成に伝えない方がよい」ということで隠してしまったという伝説もあるのです。

 

死亡時53歳になっていたとはいえ、戦地経験の豊富な源頼朝が落馬するか!?という疑念から、頼朝の死についてあれこれと想像がめぐらされるわけです。

永井さんが頼朝の死を「悪霊列伝」の中で取り上げたのは、「保暦間記」に相模原の橋供養の帰りに、悪霊にあった頼朝がその後病みつき、間もなく死んだと書かれているからです。悪霊とは源義経安徳天皇であったと。

他にも女通いしていた頼朝に怒って、嫉妬に狂った北条政子が殺してしまったという伝説もあるそうですが、これはいろいろな事情から考えてありえないと永井さんは否定しています。

それから真山青果という劇作家が、女通いをしていた頼朝がその女の恋人に闇討ちされてしまったとした「頼朝の死」という芝居を書いて、これが大当たりしたので、この説が広く世に知られて信じられるようになったそうです。

 

ただ、頼朝の死亡当時、政子も、頼家も、誰もそれを悪霊の仕業だなどと思っていなかったということです。そういう記述は当時の記載には一切ない。

悪霊が登場して頼朝は悪霊に取り殺されたのだとした「保暦間記」は、頼朝死亡時にリアルタイムで書かれたものではなく、誰が書いたのかもはっきりしていないのですが、現生の悪行には必ず報いがあるという考えが貫かれていて、源頼朝は悪行を行ったと認識されていたという点が注目なのです。

平家一族や源氏の兄弟や親族、多くの部下たちを死に追いやった頼朝は悪霊に取り殺されても当然なのだという考えが存在したというわけです。

 

「悪霊列伝」というタイトルとはいえ、永井さんは悪霊の存在は信じていませんから、悪霊を生み出した側の精神状態こそ注目だと書いていて、鎌倉時代源頼朝は悪霊に祟られて死んでもそうだろうなと思わせる存在だったというわけです。

悪霊を信じない永井さんの立場からいえば、頼朝が相模原の橋供養に行った時期が旧暦12月というとても寒い時期だったということに注目しています。旧暦12月は今の1月~2月で、一年の中で一番寒い時期で、寒風にさらされた頼朝が高血圧などの急性疾患で落馬し、その後亡くなったと考える方が科学的であると永井さんは書いています。

これも推測の域を出ないので、結局のところ、源頼朝の死因についてははっきりしないままです。本当に落馬が原因なのですようか?それとも糖尿病?あるいは複合要因?

本当のところはどうなのでしょうね。

 

永井さんの「悪霊列伝」「続悪霊列伝」は悪霊になったその人本人よりも、悪霊に仕立て上げた人々の側にこそ「悪霊になってもらう」理由があったとしていて、とても面白い作品になっています。

 

「執念の系譜」永井路子 講談社文庫

鎌倉政権の重鎮、三浦一族の密かな政争を、三浦義村、光村親子の二代に渡って描いた中編小説。鎌倉幕府初期の政争を、三浦一族の側から描いたという意味でとても面白いです。「鎌倉殿の13人」の三浦義村の暗躍、葛藤、権謀術数をこの作品で堪能できます。

 

クライマックスは源実朝の暗殺です。殺したのは公暁源頼家の息子ですが、公暁を駆り立てた人物は、公暁の乳母父であった三浦一族。しかし、三浦一族は、実朝暗殺事件で誅せられていません。すんでのところで三浦義村公暁を捨て、北条一族に味方し、家を存続させました。

三浦義村の息子、三浦光村は公暁に味方しようとしたのに父に止められ・・・。

その時から、光村の屈折した思いは最後まで続いていきます。

三浦義村は、北条義時と手を組んで鎌倉幕府を盛り上げながらも、常に北条義時を倒し、北条一族を追いやり三浦一族が鎌倉幕府の中心、執権の地位に就くことを狙っていた・・・。その執念が三浦一族を動かしていたのです。

北条義時が死んだ時、三浦義村は兵をあげ、北条一族を倒し、自分が実権を握ろうと一世一代の勝負出ます。

 

しかし・・・ここに北条政子三浦義村に会いに来て・・・

この一件は、北条義時の愛妾の伊賀の局の一族、伊賀の乱として処理され、三浦義村は伊賀一族を成敗する側になったのです。

政子と義村の間に何が話し合われたか・・・。

 

その後、三浦義村に北条一族を倒すチャンスは二度とめぐってこず、腑抜けのようになってしまいました。

北条義時三浦義村は、互いに刀を背中に隠しながら密かな権力闘争を続け、しかし、鎌倉幕府を強化するという一点では協力し、互いに尊敬しながらも命の奪い合いをしていた・・・。

鎌倉幕府初期の本当の主役は源氏ではなく、北条義時三浦義村であったと思うわけです。

 

三浦義村の思いを継いだのは、次男坊の光村で、彼の打倒北条一族の執念は最後までずっと続きます。北条一族と三浦一族との暗闘は、代を変えて続いていくのです。

そして三浦の反乱、宝治の乱で、三浦一族は遂に北条一族に滅ぼされてしまいますが、北条一族と一戦を交わしたという意味で、光村は自分の死にざまに満足していたのでした。ものすごい闘いと死にざまを後世に残して。三浦一族は皆戦死か自害。ここで三浦一族は滅びる・・・この小説は終わると思ったら。

ここで終わらないのが、この作品の面白いところです。

三浦光村の甥にあたる佐原一族が生きていて。その後三浦の名を継ぎました。そして新田義貞が北条高塒を責めた時に三浦一族は新田側に味方して、ついに、北条一族を滅ぼしたのでした。その時の三浦は三浦時継が率いていました。

北条一族をついに倒したぞ!で終わるかと思ったら。

またまた、ここで終わらないのですよねえ・・

三浦時継は、北条氏の残党の反撃、中先代の乱に味方してしまうのです。これに敗れて足利尊氏に誅されてしまいます。

でも三浦時継の息子、三浦高継は父を裏切って足利側に味方をして、生き残ります。

そして戦国時代に入り、三浦一族は北条早雲(北条一族とは関係ない)と闘うことになり、油壷にこもり籠城して闘い、一族皆が果てることになりました。

鎌倉の北条一族ではないが北条の名をかたった北条早雲によって、三浦一族は遂に滅びてしまったのです。なんともはや・・・。

三浦一族の執念はまだ三浦半島に燃え残り、くすぶっているような気がします。

三浦一族の物語は、まさに執念の物語。

読み応えのある作品でした。

 

 

 

柳広司「ダブル・ジョーカー」角川書店

ジョーカー・ゲーム」の続編。

ジョーカー・ゲーム」は第二次世界大戦直前、日本が中国との戦争を始めた頃の出来事を描いたスパイ小説。日本陸軍の異端的機関、D機関。いわゆるスパイ養成学校。このD機関のスパイたちの暗躍を描いた作品でした。D機関を率いるスパイの天才のような人が結城中佐で、この人のキャラが強烈でしたねえ。冷血、冷徹であることを求められるスパイ達。金も名誉も愛も縁がない。そういうスパイとしての生き方に、情熱を燃やすのはなぜか?スリル?プライド?使命感?しかたなく?そういうスパイの本質に迫るという楽しみも、このジョーカー・シリーズにはありますね。

 

「ダブル・ジョーカー」も前作と同様、とても面白かったです。私は登場キャラの中では結城中佐が一番好きです。今回、結城中佐の登場シーンが前作に比べ少なかった事がちょっと残念。ただ「柩」の中で、結城中佐が左腕を失った経緯が描かれています。

 

これを読むと、結城中佐がなぜそこまでスパイ活動にいれこんでいたのか、左腕を失っても冷静に行動するような胆力はいったいどこから来ているのか、そもそも彼はなぜ日本陸軍の欠点や限界を知っていながら陸軍にいつづけ、陸軍に裏切られながらも、なおスパイ活動を続けるのか、根本的な疑問がどんどん浮かんできます。

結城中佐が設立したスパイ組織D機関のメンバーたちは、自分たちのありあまる頭のよさを燃焼しつくす、ほかの誰にもなしえないことをなしてやる、というハイプライドと一生をかけるに値するスリルと自己陶酔のために、スパイを続けているとなっていますが。結城中佐自身はどうなのでしょう??「柩」の中で登場した過去の彼はもう既にスパイなので、その前はどうなのでしょうか?

 

太平洋戦争開戦前の、重々しい黒雲が世界を覆っている状況で、結城中佐は何を目指してスパイ活動をしているのでしょう?普通に考えれば、日本が戦争に勝つため、日本の国益を守るため、ということなのでしょうが。一応結城さん、日本陸軍に属しているのだから。それとも逆に戦争を回避するためだったのでしょうか。しかし、そんな単純な動機でもなさそうな。第一、日本陸軍に対してずいぶん冷めた目で見ているようだし。謎が謎を呼ぶ結城中佐です。

 

最後の「ブラックバード」で、とうとう日本の真珠湾攻撃が起こります。これで太平洋戦争が始まってしまうので、もし結城中佐の目的が戦争回避だとしたら、それは果たせなかったわけです。もし戦争勝利だったとしたら、それは無理だと、結城中佐の頭であればわかっていたはずです。それともスパイ活動そのものに生きがいを見出していたのでしょうか。

シリーズ三冊目の「パラダイス・ロスト」で、もしかして結城中佐の正体ってこのヒト!?っていう、結城さんの過去をわかるかも??という短編が入っていますが。でも、やっぱり、結城さんは謎に包まれたままです。

 

前作も思ったけれど、ジョーカー・シリーズは他に類をみないスパイ小説だと思います。他のスパイ小説は対立国家間の話で、母国のためにとか平和のためにとか、戦争勝利のためにとかテロを防ぐためにとか、主人公の目的がはっきりしています。結城中佐はどうもその目的意識が読者側によくわからない。本人が語るシーンってほとんどないし。とってもミステリアス。そこが結城中佐の魅力ですね。

 

それからこのジョーカー・シリーズの人気は、表紙イラストを描いている森美夏さんのおかげもけっこうあると思います。引き込まれる軍服姿の男・・・。いやあ、表紙って大切ですねえ。

 

「私学校蜂起 小説・西南戦争」尾崎士郎 河出文庫

「人生劇場」で有名な尾崎士郎が、西南戦争をテーマに「私学校蜂起」「可愛嶽突破」「桐野利秋」「波荒らし玄洋社」の4編を書いたもの。それぞれが、西南戦争の様相を丁寧に臨場感を持って描き出しています。それぞれの現場、というか現地の様子が丁寧に描かれていて、その場の情景が目に浮かんでくるよう。ここらへんは、さすが、尾崎さん、うまいなあって思いました。

 

桐野利秋びいきの私としては、「桐野利秋」だけで一編あるのが嬉しい。桐野利秋の生き様、死に様を描いた短編で、桐野利秋について書かれた小説としては、私は尾崎さんのこの短編が一番好きです。尾崎さんは愛知県出身で、鹿児島とはゆかりのない作家ですが、薩摩隼人の魂みたいなものを活写してくれています。

 

西南戦争を引き起こして無謀な闘いを続け西郷隆盛を誤ったのは、桐野利秋であるという意見を持つ人は多いのですが、そんな粗暴な男が憎まれもせず、今での鹿児島で愛されているのはなぜか。尾崎さんは、

「日常の生活態度が、何となく桁外れで、ユーモラスなことが庶民的な人気をよび起こしているが故でもあろうか。まったく桐野は底の抜けたような明るい性格の持ち主であった」

とその理由を書いています。

 

桐野さんが幕末は中村半次郎という有名な人斬りで、新選組に恐れられたとか、高杉晋作が好きだったとか、サーベルがピカピカ銀作りだったとか、西南戦争で鹿児島へ敗走している時でも進軍ラッパが好きでラッパを吹いていたとか、数々の桐野さんらしいエピソードが出てきます。

 

この短編の最後は、尾崎さんが鹿児島にある薩摩軍の墓がある浄光寺を訪ねるシーンです。桐野さんの墓だけが白く光る墓石になっているのを見て、なぜかと尾崎さんは案内の郷党の老人に尋ねます。その老人は答えました。

「そりゃ、桐野どんな、派手な人でごわしたからのう」

「私はこの言葉だけで満足する」と尾崎さんは書いています。

 

まったく、ハデな豪傑だった。特に、その最期にいたっては彼が心ひそかに期待していたのと寸分も狂いのない、ハデな豪傑の死に方だった。

 

私も鹿児島の浄光寺を訪ねて、桐野さんの墓だけが白く光る石で作られているのを見たのですが、西郷隆盛の墓の隣に作られたその白い墓が、墓ですけれど、西郷さんに死後も寄り添っている感じで、とても印象に残っています。

 

それから、この本は本文だけでなく、「あとがき」も一読の価値があります。西南戦争とは、西郷隆盛とは、何だったのか?という議論を、尾崎さんがあとがきで展開していて、他の方々の意見も紹介されています。

尾崎さんは、西郷さんには戦意はなかったという説をとっていて、西南戦争の悲劇は、むしろ当時の政府、特に私情にこだわった大久保利通側に責任がある、としています。どうでしょうかね。とにかく、西南戦争西郷隆盛という人が何を考えて、目指してしたのか、ということは日本近代史の最大の謎ではないでしょうか。