うさぎの時代庵

時代小説、時代劇の作品感想を書いています。司馬遼太郎、海音寺潮五郎作品が大好き。新選組、幕末物が大好き。

「土方歳三無頼控 一 バラガキ・参上」潮美瑶  文芸社

とても面白かったです!

新選組モノの快作に出会えました。三つの連作で、二巻は「覚悟」で、三巻は「奮闘」です。

 

京都時代の新選組については冒頭池田屋事変の場面が出てくるだけで、あとは江戸の試衛館時代の土方歳三様の成長し、覚悟を決めて、自分の道を決意する姿が描かれています。

そして、この本は、推理小説のように、事件が起こっていってその謎解きを歳三様がしていきます。その歳三様に子犬のようにまとわりつく、まだ十六歳の沖田総司くん。物語は、歳三様と総司くんのコンビを中心に進んでいきます。

江戸の頃の話で、京都時代の新選組と全然関係ないフィクションの世界なのですが、そこかしこに、歳三様がだんだんと、愛想のいい薬屋売りから、武士になることを決意していき、やがて京で新選組の名を轟かせるに至る未来が、垣間見えます。

うーん、ココロニクイ演出。

 

この本にはオススメポイントがたくさんあるのですが、まず第一に、土方歳三様と沖田総司くんの仲睦まじい描写が満載!なのです。私のツボを刺激しまくりです(笑)。歳三様×総司くんのコンビが好きな方には、この本、超おススメです。総司くんが、歳三様のことをすごく慕っていて、歳三様も総司くんをすごくかわいがっていて。歳三様が剣で斬られたときの総司くんの顔面蒼白ぶり。そしてその後の彼のとった態度は、かなり、かなり、ツボです。

 

オススメポイントの二番目は、江戸情緒満載!江戸の風景、食べ物、季節、匂いみたいなものが、この本を読んでいるとよくわかって、江戸時代にタイムスリップしたような気持になれます。潮美さん、相当下調べしたのでしょうね。特に話が展開していく場所が、文京区界隈なので、文京区住まいの私としては嬉しいところ。根津、日暮里、本郷追分、根岸、小石川などなど、私のお散歩コースの場所がばんばん出てきて、なんだか本当に歳三様と総司くんが、近所を歩いていたような気持になりました。

 

オススメポイントの三番目は、推理小説の面白さです。岡本綺堂の「半七捕物帳」を思い出します。あの本も江戸情緒プラス推理モノの楽しさがあります。

 

オススメポイントの四番目は、歳三様と総司くんの成長していくプロセスですね。新選組副長、新選組一番隊組長としてできあがる前の、二人の青春といいますか、剣士として成長していくプロセスが楽しいです。

 

新選組おなじみのメンバーも、もちろん健在。斉藤一くんは、「柴犬」扱いになっております(笑)。

 

読んでいて、とても楽しい新選組小説でした。

 

「忍びの国」 和田竜 新潮社

大盗賊になる前の石川五右衛門(この本の中では文吾)の話かと思いきや、和田さん創作の無門という名の忍者が主人公。

和田さんの一作目「のぼうの城」の方が評判高いようですが、私は物語の深みとしてはこちらの「忍びの国」の方があると思います。「のぼうの城」は痛快エンターテイメント。哀しさはあまりなし。でも「忍びの国」は人間の悲哀や忍者の不気味さ、情を持つ者と持たない者との乖離など、けっこう深い人間ドラマとしての見方も成り立ちます。

 

伊賀忍者を単なる忍びとして描くのではなく、人間的感情のない「ひとでなし」として描き、かつ忍者の世界にも地侍百地三太夫のような)と下人(文吾や無門のような)のヒエラルキーがあり、忍者たちがひたすら銭の亡者である、という捉え方で描きだしていくところも、面白いです。

 

そんな冷酷非情な忍者社会の権化のような無門。すごーくプライドが高い無門。

とか言ってます。

しかし、その無門が、お国という想い女にからっきし頭が上がらないという設定が面白いです。和田さんはキャラ設定が上手いなあって思います。無門だけでなく、文吾や伊賀を攻める織田信雄、それを支える武将たち、ちらっと出てくる織田信長、すべての登場人物の個性がきらりと光っていて、生き生きしています。キャラ描写が劇画調というか。少年ジャンプの世界(笑)。

 

この本の最大の魅力は何といっても、無門ちゃん。伊賀一の忍者である無門はお国にせつかれて金を稼ぐためにあくせく忍者稼業にせいを出し、お国が危ない目にあいそうな時にはすっとんで帰ってきてお国を守り。とにかくすごい活躍です。

無門の口調が現代語、つまりいまどきの若者口調であることが、正統派時代小説とは呼べないのかもしれないけれど、私は好きです。テンポがいいし、無門は当時のワカモノという設定ですからね。「そうくるかよ」とか「文吾かよ」とか、普段私たちが口にしている言葉なので、感情移入がしやすいです。

 

無門をはじめ、忍者の戦いの描写もすごく生き生きしています。文章で戦いの様子を映像化しているっていうのですか。戦いの様子が目に浮かんでくるのです。だから、やっぱり、少年ジャンプを彷彿させます(笑)。

 

でも・・・この本はハッピーエンドではありません。無門に悲劇が襲います。でもその悲劇により、無門はひとでなしの忍者から、一人の人間に立ち戻り、涙を流すことができるようになるのです。ここらへんが深い。考えさせられる。

 

和田竜さん。面白い「読ませる」作家さんですね。私はこれまで書籍になった和田さんの本は全部読んできました。どの作品も面白いですが、私としては和田作品の中ではこの「忍びの国」が今のところナンバーワンです。

 

「明智左馬助の恋」加藤廣 日本経済新聞社

加藤さんの「信長の棺」は面白かったですねえ。本能寺で明智光秀に攻められて死んだ織田信長だが、実は本能寺で「是非におよばず」とかいって自殺したわけではなく、抜け穴から本能寺を逃れたが、しかし結局・・・。そして、信長の死の真相は豊臣秀吉が知っていた・・・。発想が面白いし、いかにもありそうな話で、現地取材も綿密で、人をうならせる内容でした。

第二弾として、信長の死の真相を知る豊臣秀吉サイドの話「秀吉の枷」が出て、信長を攻めた側の明智サイドからのストーリーがこの「明智左馬助の恋」なわけです。(しかし、この本でも、全部のナゾは明らかにされません)

 

明智左馬助は、明智光秀の娘婿であり光秀の腹心の一人でもあります。光秀を尊敬しながらも、信長に追い立てられ出世競争に夢中になっていく光秀を冷静に見ながら、時に励まし、時に諫めて、なんとか最悪のシナリオを避けるように努力していくのですが。結局光秀さんは、信長を倒すことを決意してしまいます。左馬助の誠実さ、切なさが出ているのがこのセリフ。

 

明智光秀が信長に対し謀反を起こそうとした理由は、この本ではノイローゼ+朝廷との連携(と少なくとも光秀さんは思っていた)となっていますが、真相はどうだったのでしょうねえ。

私は、光秀さんは、現代でいうところの「キレル」という心理状況だったのではないかと思っています。光秀さんの悶々とした思いを加藤さんは丁寧に描き出していますが、この本の主人公はあくまでも明智左馬助です。この人が、ちょっと出来すぎるくらい出来た人で。しかも、読んでいるこちらが恥ずかしくなってしまうくらい純で、少女漫画の主人公の王子様のような方で。

加藤さんは男性なのですが、よくこんな純な主人公を書いたなあ、と思いました。明智家の興亡が表ストーリーで、裏ストーリーは題名どおり、明智左馬助さんと、光秀さんの娘、綸(幼名さと)とのロマンスなのです。いえ、ロマンスというほど明るくないのですが。この二人は夫婦になってからもいろいろ問題を抱えていて・・・。そして最後まで、その問題が続いていくのですが。

エンディングが、えっ!?と意外でした。こういう時代小説のエンディングにしてはめずらしいエンディングなのです。最後はこの二人が落城とともに死ぬシーンで終わるのですが、最後まで明智左馬助さんが甘甘なのです。だからこそ、加藤さんはこの本の題名を「恋」としたのでしょうね。

 

織田信長の死を巡る加藤さんの三部作。やっぱり順番どおり、出版年通りに読んだほうがわかりやすいと思います。

 

「手堀り日本史」司馬遼太郎 文春文庫

この本は司馬さんが自分の歴史観や歴史上の人物についての思いや、自分の作品の成り立ちなど、さまざまに語ったものを編集したもの。司馬さんのナマの声がたくさん詰まっていると思います。土方歳三様のこと、坂本竜馬のこと、西郷隆盛さんのこと、織田信長のこと、もう、いろいろ。この本を読んでいると、司馬さんがどうしてあの作品を書いたのか、書きたいと思ったのか、そのきっかけがわかったりして、司馬作品のファンであれば見逃せない話がいっぱいです。

 

この本の中で、司馬さんは自分の一番好きな作品を聞かれて、長編では「燃えよ剣!」「新選組血風録」をあげています。(そうでしょう~!そうでしょう~!!)

ちょっと意外だったのは短編では乃木将軍のことを書いた「殉死」をあげていることでした。あの作品は、司馬さんが相当な思い入れをもって書いたそうです。

 

そして土方歳三さまファンの私としては、「トシさんが歩いている」というエッセイがもうツボです。司馬さんが新選組モノを書く前に、土方歳三さまのことを調べていて、土方家生家のある日野の石田村を訪ねて、歳三さまの子孫に歳三様のことを聞くわけですが、そこで歳三さまの日野時代のエピソードを聞いて、歳三さまが武士でもなく、軍隊の教育を受けた経験もないのに、新選組のしくみや体制を考えて、それは上手に運営できた理由を発見したのです。ネタバレになるからここには書かないけど、司馬さんは土方家の取材で、土方歳三という男がわかったと思ったのでした。

 

それから、もう一つこの本の中で面白いことを司馬さんはいっていて、楠木正成が活躍する南北朝時代は小説にはできない、というのです。(吉川英治は小説にしたけど)

なぜ、小説にできないと司馬さんが思うかというと、あの時代のことを現代の作家が書くと「苦しくなる」そうなのです。水戸史観から完全に開放されて書くのは難しいと。

いやあ、でも書いてほしかったなあ、司馬さんに南北朝時代を。司馬さんには、南北朝時代と太平洋戦争を書いてから、あの世に旅立ってほしかったです。

 

「田原坂」海音寺潮五郎 文春文庫

西南戦争についての小説集。もう、この本ほど、当時の薩摩の実情、人々の気持ちを表現しえた本があるだろうか!?いや、ない!と、私は思います。もう、涙なしには読めませんよ、この本は。西南戦争に関する時代小説の中ではナンバー1!だと思います。

 

この本の中には辺見十郎太は出てくるけれど、ほとんどは西郷軍の幹部以外の普通の薩摩隼人たちを主人公にしています。

ふっと笑ってしまう話もあるし、切なくてたまらない話もあるし、号泣の話もあります。鹿児島出身、薩摩をこよなく愛した海音寺先生でなくては書けないような、西南戦争当時の薩摩のリアルなお話。読んでいて、西南戦争当時の薩摩にいるような臨場感を感じさせます。西南戦争の話を古老からオデッセイのように聞いて育ったという海音寺先生ならではの活写ぶりです。

 

この本を読んでいると、西南戦争はなんと切ない戦争だったのだか・・・と考えさせられます。西郷さんの正義を薩摩の人々は信じ、自分たちを賊軍などと思ったことは一度もなかったのでしょう。一方で家族や親戚や友人同士が、西郷軍と政府軍に分かれ、戦わなければいけなかった事実に、戦争に正義はないとも思えます。

 

この本の最後に掲載されている「田原坂」の主人公が、戦争を生き残って田原坂の地に再び立ったときの言葉がこれ。

命を散らす戦争に正義なんてない。西郷軍にも、政府軍にもない。これは海音寺先生の気持ちでもあったのではないでしょうか。

 

一番泣いちゃう作品が「柚木父子」です。薩摩ならではの悲劇なのです。親と息子が、薩摩側と官軍側に分かれて対峙することなってしまいます・・・。しかし、二人は薩摩隼人なのです。薩摩隼人であることを誇りとしているがゆえに、悲劇が起こります・・・。でも、ここに書かれている事は実際にも当時の薩摩で起こったのだろうなあと想像します。

戦争の悲劇を語った小説集だけれど、海音寺先生の一番のメッセージは「生きる」ということだったと思います。

海音寺先生の作品の中で、私はこの本が一番好きです。

 

「新選組 幕末の青嵐」木内昇 集英社文庫

「青嵐」とは俳句の初夏の季語。この作品が木内さんの処女作であり、文学賞を取った「茗荷谷の猫」という作品の前に書かれたものです。そして、この本を読んでわかったのは、木内さんが新選組大好きだってことと、沖田総司大好きだってことです。いえ、そう木内さんが書いているわけではないのですが、この本を読むとわかるのです。

 

この本で描かれる新選組は、司馬遼太郎さんの「燃えよ!剣」「新選組血風録」で描いたイメージを色濃く映しています。まあ、司馬さんのあの名作新選組モノのあとに、新選組を描いた作家たちの作品はほとんどその影響を受けたものになっていますけどね。「無邪気で、わけがわからないところがあり、子供っぽいが、剣を持ったら不世出の使い手で、そこにどこか空恐ろしいところがある」という沖田総司のキャラクターを作ったのは自分が初めだと司馬先生はおっしゃっていますからね。私としては、そういう新選組のイメージや、近藤さん・土方さん・沖田さんの黄金トライアングルが大好きなので、この本は大いに満足できました。

 

個性的だと思ったのは、斉藤一のキャラですね。人を斬りたくてしょうがない人として登場。無口でぶっきらぼうで、得体の知れない剣客。でも、実は土方さんを信頼し、信頼した人のやることを信じて最後までついていった。斉藤一についての新解釈みたいなものを、木内さんは創り上げています。

 

この本は時間の経過と共に話が進んでいくのですが、章ごとにそれぞれの登場人物たちが語り手になり、その人の目を通して話が語られ進んでいく、という構成になっていて、これまでの新選組モノにはなかった作りですね。なかなか、面白いですね。それから名セリフが多いです。たいていはその名セリフは沖田総司の口を通して語られます。沖田総司が土方さんに語ったこのセリフ。このあたり、木内さんの沖田総司へのテコ入れが感じられますねえ。

 

新選組ファンの間では有名なエピソードに、肺結核を病んでもう命が残り少なくなった沖田総司が、潜伏していた千駄ヶ谷の植木屋の離れで、黒猫を斬ろうとしたというのがありますが。この話に対して、木内さんが自分の解釈を総司の口を通じて語らせています。私は、子供を可愛がっていたような心優しい沖田総司が、なぜ、猫ちゃんを斬ろうとするなんて残酷なことをするのだ、と疑問に思っていたけど、木内さんの解釈に納得しました。

 

それから、土方歳三さまが沖田総司をどれほど大切にしていたかが、よくわかる箇所がたくさん出てきて、歳さまと総司のゴールデンペアもこよなく愛する私は大満足。

 

文庫本559ページの大作です。読み応え十分です。

人斬りたちの最期-三刺客伝 海音寺潮五郎「幕末動乱の男たち 下巻」(新潮文庫)より

前にこのブログで紹介した海音寺潮五郎先生の「幕末動乱の男たち」。その下巻の最後に、海音寺先生ならではの、幕末の人斬りと呼ばれた3人の剣客についての史伝が載っています。これが、とてもオススメなのです。

人斬り○○○と呼ばれた3人、田中新兵衛岡田以蔵河上彦斎(ぜんさい)。

幕末という日本全体で発狂していたようなあの時代が生んだ、人斬りと呼ばれる暗殺者達。人斬りを必要とした人がいて、時代があった。しかし、時代の狂騒が静まったあと、人斬り達に待っていたのは悲惨な最期でした。この3人の生き様、死に様を、海音寺先生は丁寧に描きだしています。

 

海音寺先生自身は決して暗殺をよしとせず、井伊直弼吉田東洋の暗殺だけは時代を先に進めるための必要悪だったが、他の事件は単なる殺人であるときっぱり切り捨てています。それなのに、この3人の人斬りをこの本の最後に取り上げたのは、この3人が尾ひれ付きでフィクションの中で取り上げられることが多いので史実を明らかにしておきたいということと、その末期が哀れだと海音寺先生が思ったからではないでしょうか。

 

この3人の人斬りの中で最も哀れだったのは、岡田以蔵です。以蔵さんの武市半平太先生への切ないまでの奉仕と憧れ、そして最期は武市先生に見捨てられた孤独な刑死。もう、切ない。

 

田中新兵衛さんの死は自殺。自分で腹を切ってしまった。薩摩出身で武士になりたかった新兵衛さん。幕末の過激派公家、姉小路公知を殺したと疑われ(現場に置かれていた刀が新兵衛さんのものだった)、「確かに刀はわしのものだが、事件にはかかわりない」といって、いきなり腹を切って死んでしまったのでした。結局、誰が姉小路を殺したのか、今でも謎。新兵衛さんは、いいわけしたりするのが嫌だったのだと思うなあ。薩摩隼人だから。

 

そして肥後出身の河上彦斎。この人は他の2人と違って、かなり学問もあり、武士階級であり、幕末の京都でかなり有名な論客でもあり、熱烈な尊皇攘夷家でもありました。しかし、佐久間象山を殺したことで、人斬りのイメージのほうが強いですね。この人は明治になってから刑死しています。明治政府が攘夷はタテマエで、どんどん異国と交易し異国文化を導入するのを憤慨。明治政府にたてつき、牢獄へ入れられてしまいます。命は助かることもできたのに、結局自分のポリシーを曲げず、死刑に。でも、自分の主張そのままを通した、という意味では、3人の中ではいちばん救われる最期ではあります。

攘夷主義を捨てれば助かると説得する裁判官に対し、彦斎がいった言葉がこちら。

 

彦斎の頑固な尊皇攘夷は、熊本の敬神党に受け継がれ、その後神風連の乱につながっていき、そして西南戦争への導火線になっていくのでした・・・。

 

余談ですが、明治維新漫画「るろうに剣心」の作者の和月先生が、「剣心のモデルは、幕末の何人かの剣客がなっているけど、一番影響が大きいのは河上彦斎」と書いていました。たしかに彦斎は、背が小さくて、色が白くて、女みたいな顔をしていたそうで、剣心のイメージによく似ていますね。

 

幕末の3人の人斬りについて、まとめてこれだけきちんとした内容の史伝を書いてくれているのは海音寺先生だけだと思うので、幕末ファンには必読の書といっても過言ではありません。河上彦斎については、今東光さんが優れた小説を書いています。

 

ところで・・・。海音寺先生はこの「幕末動乱の男たち」をもっと続けるつもりだったらしく、当初は土方歳三さまも取り上げる予定だったと、あとがきに書いてありました。ああ、海音寺先生、どうして、書いてくれなかったの!?海音寺先生の土方歳三史伝、読みたかった!!

 

 

「土方歳三 戦士の賦 上・下」 三好徹 人物文庫

三好さんは幕末の人物をテーマにした小説を幾つか書いていますが(沖田総司桐野利秋など)、この「土方歳三」が一番秀作ではないでしょうか。

本人もあとがきで「歳三からお前さんにしてはよくやったよといわれるのではないかと思っている」と書いています。

また、この小説を書いている間、土方歳三が「わたしの書斎を訪ねてきて、数日間滞在し、多くのことを語りかけた。頬をちょっとゆがめて「そんなこともあったかな」「そうだ。そのとおりだ」とか「そいつは、ちょっと違うぜ」と呟いたりして、筆者に男とは何か、あるいは男はどう生きるべきかを伝えて姿を消した」と、書いています。それだけ、思い入れが強かったのですよね、三好さんの歳三さまへの気持ちは。

 

激動の幕末を、新選組という誠を背負って、最後まで自分の美学を貫きとおして戦いぬいた土方歳三。その一生を多摩時代から函館で戦死するまで描ききった本です。土方歳三さまがメインなので、あまり他の登場人物は丁寧に書かれていないけど、沖田総司近藤勇の二人は、歳三さまと一心同体のようなものだったので(途中までは)、この二人との絡みはたくさん出てきます。

特に沖田総司との絡みは秀逸ですね。これは司馬遼太郎さんのマネではなく、三好さんオリジナルの部分が出ていて、私は好きです。

あと、かなり丁寧に歴史資料を読み込んでいて、そういう資料の解説とかがちょこちょこ出てきます。私はそれはちょっと余分では??と思ったけど、歴史的事実はこうだったのだと知らせてくれるので、読む人にとってはけっこう面白いかも。

 

歳三さまの愛人として志乃さんという祇園の芸妓さんがでてくるけど、しかし、やはり、これには訳があり、志乃さんに溺れる歳三さまではないのでありました・・・。

 

上下巻二冊なのですが、下巻はもう、新選組として坂道を転げ落ちるようで、何人もの隊士が死んでしまうし、悲劇的な展開。ただ、そんな中で、歳三さまの本来の才能や優しさが表に出てくるのです。下巻の方が圧倒的に読み応えあります。

作品の中で勝海舟が歳三さまを評してこう言います。



歳三さまが表舞台で活躍したのはたった6年間。たった6年間の新選組副長としての活躍の姿が、こうして語り継がれ、多くの作品が生み出され、今でも歳三さまや新選組の足跡を慕ってゆかりの地を訪ねる人が後を絶ちません。私もその一人。果ては若い世代にまで「薄桜鬼」のようなアレンジを加えられてゲームになったりアニメになったりしてブームを起こしています。

歳三さまと新選組は、ああいう生き様を貫いたが故に、永遠のものになったと思うのです。歳三さまは35歳で死んだけれど、日本人が存在する限り、歳三さまの生き様は語り継がれていくと思うので、そういう意味では歳三さまは永遠の命を得た、といえると思うのです。