うさぎの時代庵

時代小説、時代劇の作品感想を書いています。司馬遼太郎、海音寺潮五郎作品が大好き。新選組、幕末物が大好き。

「翔ぶが如く」司馬遼太郎 文藝春秋

明治維新から西南戦争までの、薩摩の人々のお話。この時期、薩摩を中心に日本が動いていたようなもので、もっといえば、薩摩の西郷隆盛大久保利通の二人に日本が振り回されたとでもいいましょうか。西南戦争西郷隆盛が滅び、薩摩隼人が滅び、日本は維新から十年して初めて明治統一国家となったといえるわけですが。その経緯を描いた作品。司馬遼太郎先生の作品の中では、私の中では「新選組血風録」「燃えよ剣」と共にベスト3に入ります。

文庫本にして10冊の長さ。そして多分最初の1~3冊は、いろいろな登場人物が出てきて、話もややこしいし、司馬先生お得意の「余談」もたくさん出てくるし、ちょっと読みにくいかも。でも、後半はもう止まりませんよ。西南戦争が勃発してからの西郷軍の戦いの様子が細やかに描かれ、一挙にエンディングまで読ませます。私は定期的にこの作品を読み返したくなり、もう何十回と読んだと思う。読むたびに違うところに気づいたりして。

 

西南戦争は愚かしいです。愚かしい内戦です。多くの薩摩の有望な若者が命を落としました。薩摩の中でも西郷軍と官軍とに別れ、同郷の者同士殺しあうという悲劇でした。ですから私は西南戦争を決して肯定しません。ただ、西南戦争を起こさざるを得なかった薩摩隼人たち、そしてその薩摩隼人に「わたしの体をあげましょう」と、一緒に戦いを決意した西郷隆盛。彼らの心境もわかるような気がするのです。西南戦争は薩摩が起こした戦いですが、江戸時代から連綿と続いた武士階級の最後の打ち上げ花火でもあったと思うのです。西南戦争を経て、初めて、日本は国民皆兵へ向っていったと思います。

司馬さんも西南戦争とは何だったのか、西郷隆盛はどういう気持ちだったのか、ということを書きながら考え、考えながら書いたと思います。最初の方と最期の方では大分西郷さんへの評価が違っているのは、司馬さんも書きながらいろいろ考えていったからだと思います。

 

司馬さんの西郷隆盛感に対し、薩摩を愛する海音寺潮五郎さんは大分違和感を覚えたようで。海音寺さんは海音寺さんの西南戦争を書いており、海音寺さんの作品も合わせて読むと、西郷隆盛という人の不思議さがより実感できるのではないかと思います。

 

私が好きなのは、桐野利秋(昔の中村半次郎。人斬り半次郎とも呼ばれた)と篠原国幹。二人とも典型的な薩摩隼人です。ちょっと愚かだとは思うのですが、典型的な薩摩隼人とされます。二人とも西郷さんをひたすら尊敬し愛している。彼らは敗戦を続ける戦争の中で何を思っていたのでしょうか。

篠原さんは桐野さんより先に死んでしまうのですが、桐野さんは西郷さんとともに鹿児島の城山で討ち死にします。最後の方では西郷さんと桐野さんの仲は冷えていたようですが、あの世で、桐野さんは西郷さんに「すまんことです」といいながら甘えているのではないだろうか。西郷さんのそばをうろちょろしているのではないだろうか。もし、西郷隆盛という、日本の歴史上類を他にみないような人物が存在しなかったら。明治維新の頃に存在しなかったら。日本の歴史は大分違ったものになっていたでしょう。

 

この作品は、西郷隆盛の物語といっても過言ではないのです。学校の歴史の教科書読むよりも、この本を読んだほうが明治の歴史はわかるのではないだろか。

西郷隆盛がどういう人だったのか・・・。今の大分県の中津藩から西郷軍に参加した増田宗太郎の言葉があります。

この言葉が、西郷さんという人をよく表している言葉だと思います。まさに「今は善も悪も死生を共にせんのみ」。その思いを多くの薩摩隼人たちが持っていたのではないでしょうか。

 

私は西南戦争の戦跡を訪ねて熊本・鹿児島を旅したことがあります。鹿児島にある西郷軍の墓は、西郷さんのお墓を中心にみんな整然と墓石が並んでいて、まるでまだ行軍していうよう。西郷さんの横は篠原さんと桐野さんのお墓になっています。桐野さんのお墓だけ白っぽいきれいな石で出来ていて、それが派手好きだった桐野さんの好みにぴったりだと、司馬さんも書いています。