「新選組の舞台裏」はノンフィクション(98%は)。いろいろな物証をもとに、新選組の意外と知られていない事実を語る短編集です。新選組ファン、特に土方歳三ファンにはたまらない一冊になっています。
例をあげれば・・・
・土方歳三が暮らした家
・土方歳三は強かったのか
・土方歳三の写真
・五月十一日 土方歳三が駆けた道
・土方歳三 一本木関門離脱の謎
・土方歳三の辞世
など。どうです?歳三様ファンならばぜひ読んでみたい内容でしょう?
ドラマや小説の中の歳三様ではなく、実際に生きていたリアルな歳三様の姿を垣間見ることができるのです(リアルでも歳三様はやっぱりかっこいいのです)。
歳三様の最期の地、北海道函館の一本木関門跡まで訪ねていった私としては、特に「土方歳三が駆けた道」「一本木関門離脱の謎」がとても興味深い内容でした。これから、歳三様最期の地を訪ねようと思っている人は、この本を読んでから行かれることをお勧めします。
しかし。私がこの本で一番感動し、読み返すたびに涙してしまうのは歳三様ネタではなくて、「沖田総司の最後の手紙」です。
現存する沖田総司が書いたことが確認される最後の手紙は、慶応三年に近藤勇のお兄さん宮川音五郎にあてたものですが、その手紙からいろいろなことがわかり、考察されています。
沖田総司は池田屋の戦いのときに血を吐いて倒れたという定説があって、小説やドラマでもそのシーンが必ずありますが。実は沖田総司が結核を発病したのはもっと後、慶応3年頃というのが本当のところらしいのです。慶応3年の12月ごろにはもう大分具合は悪かったらしいです。
沖田総司の最後の手紙は、慶応3年11月に書かれているのですが、具合が少し悪かったけどもうよくなったから心配しないでください、大丈夫です、というようなことが書かれています。本当はもうこの頃は総司くんは自分の病が結核であり、死が近づいていることをわかっていたのです。それなのに、日野の故郷の人達には「大丈夫だから」と書いて送っている。泣。
慶応3年の10月には歳三様が江戸へ行って日野の義兄佐藤彦五郎さんを訪ねているので、そのとき歳三様は総司くんの具合が悪い事を語ったのではないでしょうか。
↓ここからは、私の妄想。
彦「総司は元気か?」
歳「あ?あ、ああ・・・なあ、義兄さん・・・」
彦「なんだよ?」
歳「あいつ、血を吐いたんだ・・・あれは、やっぱり、労咳か・・・な・・・」
彦「なに?あいつって総司がか!?」
歳「ああ・・・義兄さん、違うよな?総司が労咳なわけないよな?あんな、いつも笑ってばかりいる奴が労咳なんて、ありえねえよな?」
彦「・・・・歳、医者には見せたのか?」
歳「ああ、腕がいいって評判の医者のところに行かせたんだが、何でもなかった、ちょっと疲れているだけだっていうんだよ、あいつ・・・」
彦「血を吐いたのは一回だけか?」
歳「俺が見たのは一回だ。だが、見てないところでもっと吐いているかもしれん・・・最近あいつの顔妙に青白くて・・・」
彦「かもとかなんとか言っている場合じゃねえだろ!お前がひっついていって医者に診てもらえ!」
歳「あ、ああ。そうだよな・・・」
彦「しゃんとしねえか、歳!総司の病が重くなってからじゃ遅いだろう!」
歳「義兄さん・・・総司、労咳なんかじゃねえよね?あいつ、大丈夫だよな?」
彦「歳・・・」
歳「あいつが労咳なんかで倒れちまったら、俺・・・俺、あいつがいねえと・・・」
そう言って俯く歳三の頭を、彦五郎はやさしくぽんぽんと叩いた。
な~んて光景があったのではないかと。妄想しています(笑)。
沖田総司の手紙の筆跡はとてもすがすがしく、やさしいのです。それだけに、この最後の手紙は切ないのです。