うさぎの時代庵

時代小説、時代劇の作品感想を書いています。司馬遼太郎、海音寺潮五郎作品が大好き。新選組、幕末物が大好き。

「私学校蜂起 小説・西南戦争」尾崎士郎 河出文庫

「人生劇場」で有名な尾崎士郎が、西南戦争をテーマに「私学校蜂起」「可愛嶽突破」「桐野利秋」「波荒らし玄洋社」の4編を書いたもの。それぞれが、西南戦争の様相を丁寧に臨場感を持って描き出しています。それぞれの現場、というか現地の様子が丁寧に描かれていて、その場の情景が目に浮かんでくるよう。ここらへんは、さすが、尾崎さん、うまいなあって思いました。

 

桐野利秋びいきの私としては、「桐野利秋」だけで一編あるのが嬉しい。桐野利秋の生き様、死に様を描いた短編で、桐野利秋について書かれた小説としては、私は尾崎さんのこの短編が一番好きです。尾崎さんは愛知県出身で、鹿児島とはゆかりのない作家ですが、薩摩隼人の魂みたいなものを活写してくれています。

 

西南戦争を引き起こして無謀な闘いを続け西郷隆盛を誤ったのは、桐野利秋であるという意見を持つ人は多いのですが、そんな粗暴な男が憎まれもせず、今での鹿児島で愛されているのはなぜか。尾崎さんは、

「日常の生活態度が、何となく桁外れで、ユーモラスなことが庶民的な人気をよび起こしているが故でもあろうか。まったく桐野は底の抜けたような明るい性格の持ち主であった」

とその理由を書いています。

 

桐野さんが幕末は中村半次郎という有名な人斬りで、新選組に恐れられたとか、高杉晋作が好きだったとか、サーベルがピカピカ銀作りだったとか、西南戦争で鹿児島へ敗走している時でも進軍ラッパが好きでラッパを吹いていたとか、数々の桐野さんらしいエピソードが出てきます。

 

この短編の最後は、尾崎さんが鹿児島にある薩摩軍の墓がある浄光寺を訪ねるシーンです。桐野さんの墓だけが白く光る墓石になっているのを見て、なぜかと尾崎さんは案内の郷党の老人に尋ねます。その老人は答えました。

「そりゃ、桐野どんな、派手な人でごわしたからのう」

「私はこの言葉だけで満足する」と尾崎さんは書いています。

 

まったく、ハデな豪傑だった。特に、その最期にいたっては彼が心ひそかに期待していたのと寸分も狂いのない、ハデな豪傑の死に方だった。

 

私も鹿児島の浄光寺を訪ねて、桐野さんの墓だけが白く光る石で作られているのを見たのですが、西郷隆盛の墓の隣に作られたその白い墓が、墓ですけれど、西郷さんに死後も寄り添っている感じで、とても印象に残っています。

 

それから、この本は本文だけでなく、「あとがき」も一読の価値があります。西南戦争とは、西郷隆盛とは、何だったのか?という議論を、尾崎さんがあとがきで展開していて、他の方々の意見も紹介されています。

尾崎さんは、西郷さんには戦意はなかったという説をとっていて、西南戦争の悲劇は、むしろ当時の政府、特に私情にこだわった大久保利通側に責任がある、としています。どうでしょうかね。とにかく、西南戦争西郷隆盛という人が何を考えて、目指してしたのか、ということは日本近代史の最大の謎ではないでしょうか。