うさぎの時代庵

時代小説、時代劇の作品感想を書いています。司馬遼太郎、海音寺潮五郎作品が大好き。新選組、幕末物が大好き。

「新選組剣客伝」山村竜也 PHP研究所

山村さんは学生時代から新選組研究会を作られた方ですから、新選組大好き作家さん。そんな山村さんが新選組のスター剣士たちの生涯を解説してまとめた短編集。

これも史実だったかなあ?と、ちょっとクエスチョンマークが付くところもあるにはあるのですが、山村さんのそれぞれの人物への思い入れの激しさにより、断定的な表現が多くなっていると思いましょう。この方、本当に新選組が好きなのですよねえ・・・。

 

紹介されている人物は、近藤勇土方歳三さま、沖田総司山南敬助原田左之助永倉新八藤堂平助斉藤一、です。それぞれの最期まで書かれていますので、小説などで途中までしか書かれない事が多い人物たち(斉藤さんとか、原田さんとか、永倉さんとか)の最期がどうなったのかがよくわかります。また、それぞれのお墓がどこかも書かれてありますので、お墓参りしたい人にも役立ちますね。

 

この本の中で心に一番残るのは斉藤一さんの一生です。「斉藤は局中一、二の剣客にて、そのうえ殺伐の癖のある者なれば・・・」(文中で引用されている西村兼文著『壬生浪士始末記』より)と書かれている斉藤さんですが。新選組の主要メンバーの中でも長生きして天寿を全うした人です。

 

会津戦争のときに、斉藤さんは土方さんと袂を分かちました。司馬さんの「燃えよ剣」などでは斉藤さんは土方さんとどこまでも一緒に行き、函館まで一緒に戦っていたけれど、土方さんに説得され函館から脱出した、という風に書かれていますね。個人的にはそういうストーリーになってほしいのだけど、斉藤さんは最後まで新選組副長土方歳三についていったと思いたいのだけど、それは史実ではないようです・・・。

なぜ、二人は別れたのか?という理由についても山村さんの考察が述べられています。

 

この斉藤さんは大正4年、72歳まで生きました。江戸、明治維新、その後日清・日露戦争を経て、大正デモクラシーへ。斉藤さんは激しい変遷の世をどう思って生きていったのでしょうか。同じく生き残った永倉さんはいろいろ書き物や発言を残したり、近藤さんのお墓を板橋に建てたり、いろいろ活動(?)しているので、その後の人生や彼が考えていたことをたどりやすいけれど、斉藤さんは沈黙を守って、永倉さんとの交流もなくて、彼の維新後の思いについてはよくわかっていません。

会津戦争の敗戦後、斗南へ移り、会津の娘さんと結婚して、3人の息子をもうけたので、その子孫の方がいるとわかっていますが。彼の新選組や土方さんや仲間への思いはどのようなものだったのでしょうか。彼はその後西南戦争に警察官として参加し、かって薩摩といった鹿児島の西郷軍と戦っていますが、その時の彼の心の中にはどのような気持ちが渦巻いていたのでしょうか。ここらへんは、想像をめぐらすしかないので、小説の格好のネタになりそうです。(漫画「るろうに剣心」では新選組の哲学を貫く警察官として登場してますが(笑))

 

斉藤さんの最期というのが、自宅の床の間の上に正座して亡くなっていたということで、斉藤さんのこの死に方に、いろいろな想いがこめられているような気がします。

 

斉藤さんのお墓は会津にあるのですが、彼が亡くなったのは東京の本郷の真砂町でありました。実は私が今住んでいるところの近く。今の真砂町は後楽園ドームへ続く大通りが縦に走り、昔の面影はないけれど、ちょっと裏通りに入ると、まだ少し下町の雰囲気が残っています。