葉室麟さんの2012年作品。時代小説というジャンルですが、これは恋愛大河ドラマですね。タイトルの「この君なくば」は「この君なくば一日もあらじ」という和歌からとっているのです。この本の中では「この君」=愛しい人という意味で使われ、何回もこのフレーズが出てきます。
幕末・維新の激動の時代を舞台に、九州の伍代藩という小さな藩で、楠瀬譲と、その彼の恩師の娘、檜垣栞との、恋物語が主軸です。
小さな藩にも幕末の激風はふきあれ、尊王攘夷、佐幕の対立構造は激化し血が流れていきます。伍代藩は、薩摩や長州のような列強藩ではありませんから、時代を先導するというよりも、時代の荒波にもまれて、あちらこちらに振り回されて、混乱の幕末を迎えます。でも、あの頃、長州・薩摩などの列強藩以外の藩は、たいていそういう状況だったのではないでしょうか。葉室さんは、スポットライトが当たりにくい時代の隅っこで懸命に生きている人達を描くと、ほんとお上手ですよねえ。
時代の激流に翻弄される小さな藩の中で、ただまじめに、静かに、藩主に忠誠を尽くして、民が安らかに暮らしていけるように、そういう至極当然の願いをもって生きていこうとした二人。二人はもともと互いを好いているわけですが、なかなか結ばれない。譲さんは藩主の意向を受け、一度は違う女を嫁に迎えますし。二人の仲はどうなってしまうのか、かなりヤキモキします。
ついに譲さんが栞さんを妻にほしいと告げるシーンを読んだ時は、ほっとしました。あー、よかった、と思って。そういう意味ではこの作品は恋愛ドラマなのです。
しかし、ここでハッピーエバー・アフターにはならないのです。めでたく結ばれた譲さんと栞さんに、維新の大風が吹き付けます。譲さんが佐幕派、榎本武揚に組したとされ、牢に入れられてしまいます。栞さんに横恋慕する尊王攘夷派の藩士も現れ・・・。と、最後まで二人の恋の行方にハラハラします。
時代が幕末・明治ということですが、展開するのは恋愛ドラマで、この作品はテレビドラマ化するとドラマチックでやきもきするので、ヒットするのではないでしょうか!?私としては、譲さんは向井理に、栞さんは国仲涼子に、演じてもらいたいです。あ、そうすると、本当の夫婦ですね!
個人的には作品の中に、ちらっと、幕末の人斬り、河上彦斎(げんさい)が出てくるのが嬉しかったです。しかし作品の中ではかなり狂気じみた恐ろしい様子で登場してくるのですが・・・。
栞さんの恋のライバルであった、譲さんの義妹、五十鈴さんが栞さんにいった言葉が、胸に響きます。栞さんの譲さんへの切々で静かなしかりとても強い思いをよく表しています。
そしてこのセリフは葉室さんがこの作品を通じて言いたかったメッセージではないかと私は思いました。