うさぎの時代庵

時代小説、時代劇の作品感想を書いています。司馬遼太郎、海音寺潮五郎作品が大好き。新選組、幕末物が大好き。

人斬りたちの最期-三刺客伝 海音寺潮五郎「幕末動乱の男たち 下巻」(新潮文庫)より

前にこのブログで紹介した海音寺潮五郎先生の「幕末動乱の男たち」。その下巻の最後に、海音寺先生ならではの、幕末の人斬りと呼ばれた3人の剣客についての史伝が載っています。これが、とてもオススメなのです。

人斬り○○○と呼ばれた3人、田中新兵衛岡田以蔵河上彦斎(ぜんさい)。

幕末という日本全体で発狂していたようなあの時代が生んだ、人斬りと呼ばれる暗殺者達。人斬りを必要とした人がいて、時代があった。しかし、時代の狂騒が静まったあと、人斬り達に待っていたのは悲惨な最期でした。この3人の生き様、死に様を、海音寺先生は丁寧に描きだしています。

 

海音寺先生自身は決して暗殺をよしとせず、井伊直弼吉田東洋の暗殺だけは時代を先に進めるための必要悪だったが、他の事件は単なる殺人であるときっぱり切り捨てています。それなのに、この3人の人斬りをこの本の最後に取り上げたのは、この3人が尾ひれ付きでフィクションの中で取り上げられることが多いので史実を明らかにしておきたいということと、その末期が哀れだと海音寺先生が思ったからではないでしょうか。

 

この3人の人斬りの中で最も哀れだったのは、岡田以蔵です。以蔵さんの武市半平太先生への切ないまでの奉仕と憧れ、そして最期は武市先生に見捨てられた孤独な刑死。もう、切ない。

 

田中新兵衛さんの死は自殺。自分で腹を切ってしまった。薩摩出身で武士になりたかった新兵衛さん。幕末の過激派公家、姉小路公知を殺したと疑われ(現場に置かれていた刀が新兵衛さんのものだった)、「確かに刀はわしのものだが、事件にはかかわりない」といって、いきなり腹を切って死んでしまったのでした。結局、誰が姉小路を殺したのか、今でも謎。新兵衛さんは、いいわけしたりするのが嫌だったのだと思うなあ。薩摩隼人だから。

 

そして肥後出身の河上彦斎。この人は他の2人と違って、かなり学問もあり、武士階級であり、幕末の京都でかなり有名な論客でもあり、熱烈な尊皇攘夷家でもありました。しかし、佐久間象山を殺したことで、人斬りのイメージのほうが強いですね。この人は明治になってから刑死しています。明治政府が攘夷はタテマエで、どんどん異国と交易し異国文化を導入するのを憤慨。明治政府にたてつき、牢獄へ入れられてしまいます。命は助かることもできたのに、結局自分のポリシーを曲げず、死刑に。でも、自分の主張そのままを通した、という意味では、3人の中ではいちばん救われる最期ではあります。

攘夷主義を捨てれば助かると説得する裁判官に対し、彦斎がいった言葉がこちら。

 

彦斎の頑固な尊皇攘夷は、熊本の敬神党に受け継がれ、その後神風連の乱につながっていき、そして西南戦争への導火線になっていくのでした・・・。

 

余談ですが、明治維新漫画「るろうに剣心」の作者の和月先生が、「剣心のモデルは、幕末の何人かの剣客がなっているけど、一番影響が大きいのは河上彦斎」と書いていました。たしかに彦斎は、背が小さくて、色が白くて、女みたいな顔をしていたそうで、剣心のイメージによく似ていますね。

 

幕末の3人の人斬りについて、まとめてこれだけきちんとした内容の史伝を書いてくれているのは海音寺先生だけだと思うので、幕末ファンには必読の書といっても過言ではありません。河上彦斎については、今東光さんが優れた小説を書いています。

 

ところで・・・。海音寺先生はこの「幕末動乱の男たち」をもっと続けるつもりだったらしく、当初は土方歳三さまも取り上げる予定だったと、あとがきに書いてありました。ああ、海音寺先生、どうして、書いてくれなかったの!?海音寺先生の土方歳三史伝、読みたかった!!